美しい海、温暖な気候、食をはじめとして、音楽、芸能にいたる豊かな文化、沖縄は数え切れないほどの魅力を兼ね備えている。
人それぞれ意見は違うと思うが、私は沖縄を日本だと思っていない。確かにかつては「琉球王国」と呼ばれた立派なひとつの国家であった。このことを実感させられたのは台湾に住んでいる時であった。
当時、台北から日本へは東京、大阪、名古屋、福岡、那覇へ直行便が飛んでいた。漢字文化の台湾では、出発ロビーのフライトインフォメーションは都市名と国名が漢字で表示されるが、東京から福岡までの国名は「日本国」であったが、那覇の国名は「琉球」と表示されていた。また、台北には毎年多くの留学生が沖縄から訪れるが、卒業アルバムに記載される彼らの出身国は、やはり「琉球」である。地図でも沖縄とは記載されておらず、「琉球」と書かれている。この事は、いまだ台湾が沖縄を日本の一部として認めていない証拠であろう。また、台湾は一時期、「小琉球」と呼ばれていた。余談ではあるが、台湾では北方領土は日本の領土として認識されている。
話が少しそれたが、ここ横浜市鶴見区の潮田町、仲通周辺は通称 沖縄区、仲通り商店街は沖縄通りと呼ばれるほど沖縄が根付いている。中心には沖鶴県人会会館があり、1階にある物産店の品揃えはあきらかに沖縄出身者向けである。本格的な沖縄料理を食べさせる沖縄料理店も点在している。心なしか町並みも沖縄本島のコザ市に似ているように感じる。
京浜工業地帯形成期の大正9年ごろ、沖縄本島から多くの労働者が職を求めてここ鶴見区に移住し、現在でも沖縄をルーツに持つ、二世、三世がたくさん住んでいる。
8
月20日、鶴見で結成されたエイサー団体「鶴見エイサー潮風(うすかじ)」による「仲通り道じゅねー」が仲通り商店街にて開催された。道じゅねーとは旧暦のお盆の時期に、エイサーを演じながら道を練り歩くことである。琉球時代に中国の影響が強かった沖縄は、すべての行事が旧暦で行われる。
開始時刻の午後5時前、地元の人を中心に見物人が「沖鶴県人会会館」周辺の沿道に集まってきた。少し遅れてエイサーはスタート、過去にも見たことはあるが、これほど近くで見るのは初めてである。この商店街はバス通りのため、バスの通過時は少しの中断を余儀なくされるが、すごい迫力であった。
エイサー隊の年齢層も幅広い。小さな子供が元気良く踊る姿は可愛いく逞しくもある。エイサーと言えば男性のイメージだが、女性メンバーが多かったのも印象的であった。
商店街を往復し、最後のステージが午後7時過ぎに始まった。ここまで途中休憩を挟みながらも2時間近く踊りっぱなしであったが、最後の力を振り絞ってのエイサーだった。
そして、最後はカチャーシーへと流れ込み、見物客も混じってのカチャーシー大会となった。曲は定番の「唐船ドーイ」である。沖縄にルーツを持つ人たちはこの曲が始まると踊らずにはいられないといった感じであった。踊りながら曲を口ずさんでいた人も多い。とても上手に踊っている年配の方たちは2世の人たちだろうか。また、子供たちまで踊っていたのは、沖縄の伝統芸能が確実に継承されている証しであろう。
この辺りは沖縄にルーツを持つ2世、3世だけでなく、南米系の人たちも大勢住んでいる。エイサーを見物している南米系の人も見かけた。南米系と言われているが、ブラジル系が多い。また、かつては沖縄から多くの人が南米、ハワイへ移民として渡っている。南米に移住した沖縄移民の子孫が日本の移住先としてここを選んでいる人も多い。沖縄料理の店だけではなく、南米系の飲食店もあるが、沖縄料理とブラジル料理を一緒に提供している店もある。
一度、南米の食材を販売している小さな店に入ったが、日系と思われる店員は日本語があまり上手でなく、コミュニケーションに少し苦労した。日本語など上手く話せなくとも商売が成り立っているのであろう。
横浜に移住した沖縄人の子孫たち、沖縄から南米に移住した先祖を持ち、日本での移住先に横浜を選んだ人たちがここには共存している。ここに来れば、美しい海こそないが、沖縄の文化に触れることができる。
南米の人たち以上に韓国・朝鮮系の人たちも多い鶴見区は、観光地化された中華街以上に異国の雰囲気が漂っている。
ハマテレビ 横浜の中の琉球